症状別治療法
人の足を揉んであげるとき
大事な家族や親戚、友達や恋人、そんな人が病気になった時、本人に変わって、足を揉んであげる。
とても美しい行為だと思います。
でもそんな時にちょっとだけ気に留めておいて欲しいことがあります。
それは、オカルト的な話に聞こえることとは思いますが、人間の病気の悪い「気」というのは、直接触れることで、触れた人に伝わってゆくものだということです。
類は友呼ぶ、という諺とはちょっと違いますが、人はいつも接している人の影響を受ける生き物です。似たもの夫婦、という言葉もあります。初めから似ていたのではなく、長い間共に暮らすことで似てきたのです。
人間は近くのものに影響されるものです。
癌、のような重要な病気の人の足を直接手で揉んであげたとします。
揉んだ手から、癌の悪い「気」は揉んだその人に入ってきます。
その人がその悪い「気」を跳ね返すだけの強い健康な「気」を持っていれば問題はありません。
しかし、もしそうでなければ…悪い「気」はその人に染み込み、病気にしてしまうことがあるように思います。
私店長にも経験があります。
脳卒中で倒れたある患者さんの足を揉んだ時です。
1時間ほど必死でその患者さんの足を揉んであげました。
その方は卒中の影響で、体はそこそこ動いているのですが、身内の方の呼びかけに答えることもできませんし、意識の所在も良く分からない状態です。
ただ、足の痛いポイントでは、ちょっと痛そうに体をよじるくらい。
ただ、それで文句をいうこともありません。
正常な意識や記憶からは遠いところにいらっしゃったのです。
その日家に戻った私は夜中に突然痛烈な頭痛に見舞われました。
左の方の頭が割れるように痛いのです。
官足法を実践して以来、数年持病の頭痛から開放されたと思っていた私は、訳が分からず戸惑いました。以前でもそれほどの頭痛は経験したことがなかったくらいです。
あとから思えば、その日私が足を揉んだ患者さんは、左の頭部で出血して倒れたのです。
私の頭痛も同じ左頭部。
その時始めて、これは偶然ではないのではないか、と思いました。
以来既に5年が経ちますが、私は頭痛とは無縁の生活をしています。
父は肝臓癌で亡くなりました。
父は岡山、私は東京で職を持っていますから、しょっちゅう帰る訳にもいきません。
ですが、いよいよ危篤、という医師の告知により、仕事を休んで1週間ほど帰郷しました。
父は既に病床で正しい意識もあるかないか良く分からない状態。
時々突然暴れだして点滴などを引っこ抜いたりしますので、かわるがわるの付き人が必要でした。その時に最も甲斐甲斐しく父に付き添っていただいた、親戚の叔父さんがいました。父とはさほど年も変わらない70歳代の方でした。
甲斐もなく父は亡くなり、葬儀をあげましたが、その叔父さんは葬儀に参加することができませんでした。
なぜなら、叔父さんは父を看取った数日後に胃癌が発見され入院していたのです。
単なる偶然と片付けるのが科学者でしょうが、科学が全てだ、と思わない方は、そのあたり少し注意して臨んだ方が良いかも分かりません。
人の足を素手で揉んでさしあげるときは。
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