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子供を持つ全ての親御さまへ

店長です。


まだ大学生だった頃の思い出です。


当時は埼玉県上福岡の学生寮に住んでいました。


月曜日から土曜日まで朝と夜の食事付きで、なんと年間10万円という破格の待遇の寮でした。
寮生は約10名。
大学は同じですが専攻は違う人たちです。
入寮して間もなく2人の寮生と仲良くなり、良く部屋に集まってゲームをしたり酒を飲んだり、ただ何となくおしゃべりをしたり、とにかく気が合いました。


1年ほどして分かったのですが3人とも血液型がAB型でした。
類は友を呼ぶ。・・・少し違うかも分かりません。
寮生10人中AB型だった3人がいつの間にか友達になっていたのですから、面白いものです。


土曜日の夜はカレーライスとメニューが決まっていて、なぜかその時は私の部屋に集まって必ず(当時テレビで放映していた)アニメ「日本むかしばなし」を見ながらカレーライスを食べるという習慣がいつの間にかできていて、今思えば懐かしい思い出です。


3人で夜中に盛り上がってしまい、日本酒の1升ビンを2本飲みつくしたことがありました。お小遣いもない学生ですから、1人が実家の熊本から差し入れでもらった日本酒をたかった訳です。つまみもありませんでした。ただ、飲むだけ。
深夜を過ぎて酔いが回ってきました。過剰に飲んでしまったのですね。急性アル中寸前です。何でもかんでも可笑しく思えてゲラゲラ笑っている内にふいに気持ちが悪くなり、吐き気がしたので寮の外に飛び出しました。
外にある水洗い場に倒れてそのままゲーゲーやりだしました。
ふと夜空を見ると激しい勢いで星がグルグル回っています。
その時はもうひたすら苦しくて苦しくて、このまま死ぬかも知れないと本気で思いました。
良く学生が慣れない酒で盛り上がって、急性アル中で死亡する事故がありますが、そういうことだと思います。


まあ、なんとか一命を取り留めて、部屋に戻ってからも布団に横になったままえずいて一晩過ごしようやく朝方死んだように眠りました。
そのまま死ななかった体の強さに感謝です。


寮のすぐ近くにパン屋さんがありました。
店長はたぶん40才前後のちょっと太り気味の女性です。


それほど利用していた訳ではないのですが、パンの耳を時々一袋10円で売っていて、貧乏学生には大事な食料になったのです。


大学の講義を受けての帰り、夕方そのパン屋さんの前を通ると、店長さんが時おり私を呼ぶのです。
何かな?と思って店に入ると、店長が肉まんを4〜5個袋に入れて、「これ、余りものだから、寮のみんなと分けて食べなさい。」と言って持たせてくれるのです。
それが2年の寮生活の間で、数十回もありました。
あの時のパン屋さんに行って、今お礼をしなくてはいけないのではないかという思いに駆られます。もうとっくにその寮は廃止になり、30年以上たった今、パン屋さんもあるかどうか、あってもあの優しい店長さんは健在かどうか分かりませんが、一度上福岡に行かなくてはならないという思いが沸きあがります。


寮では怖い思いもしました。
古い木造のアパートだったので、ゴキブリが出ます。
夜中に食堂に入って電気をつけると足元に無数のゴキブリがうごめいていて、思わず「うわっ」と声を上げたのが最初の体験。
その内、スリッパを持って夜中に食道に行き、明かりを付けたら一気にゴキブリのもぐらたたきをする癖がつきました。
多い時で30匹以上です。
余りの多さに、たたいてツブシタものの、気持ち悪さに1時間くらい放置して、改めてゴミ袋を持って食堂に行ってみると、ツブシタはずのゴキブリは半分くらいに減っています。
本当に生命力の強いやつらです。
原始時代から生存している理由が良く分かります。


私の部屋は1階の端にありました。(寮は2階立てです)
前は廊下。向かいには別の寮生の部屋があります。
何かで徹夜をしてしまったある日の午後、私は早々に眠ってしまいました。
時は夕刻。
真っ暗な部屋でふと目覚めた私は、廊下で人声がするのを聞きます。
二人くらい、誰かの話し声がするのです。
誰だろう、と思って耳をそばだてていると、私の部屋の扉が突然ガラリ、と開くのです。
いつも鍵をしめているのに扉が開くのはおかしい。
強盗かも知れない。一瞬ぞっとします。
誰かが真っ暗な部屋の中に入って来ますが、なぜか私は布団の上で動けないでいます。
次の瞬間、私が寝ている頭の方の布団を、その誰かが両手でつかんで、ものすごい力で持ち上げようとします。
あっという間に私の上半身は寝たまま布団と一緒に持ち上がり、そのまま右へ左へと激しく揺さぶられます。
恐ろしくて声も出せません。
それが10秒くらい続いた後、布団は下ろされ、静かになりました。
それで目が覚めました。
夢だったのです。
時は夢で見たのと同じ夕刻。
部屋は真っ暗。廊下の明かりが扉から漏れています。
それが怖かったのは、その時の実感が夢とは思えないほどリアルに感じたせいで、起きてからも、ああ、夢か、という風には思えず、その夜は一晩中明かりをつけて寝ました。
今でも忘れられないほどの感触が残っています。
でも夢は、夢ですけれど。


ある夏の暑い日に、ずっと外出した日がありました。
くたくたになって寮に戻り、そのまま眠りました。
朝、起きると体が動きません。
寝返りも打てません。
全く体が動かないのです。
これは夢の話ではないですよ。
頭がひどく痛いのです。
苦しいけれど起き上がることも動くこともできない。
金縛りと同じ状況ですが金縛りではありません(金縛りも良く経験しましたけれど)。
動けない中、思ったのは日射病(今は熱中症というのでしょうか)。
暑い中、帽子もかぶらず動き回っていたせいで、熱中症になってしまった。
もちろん初めての体験でした。
動けないものですから、病院にも行けず、そんな時に限って友達も来ず(夏休みで皆実家に帰っていましたから)、一人不安におののきながら、天井ばかり見つめていました。
寝返りは、できないのです。
それから何と3日間も動けぬまま、食事もできずトイレにも行けず、死ぬような思いをしました。熱中症で死ぬ、というのはああいうことなんだろうと今は想像ができます。


大学時代に親しくなった女性が3人います。
2人は同じクラス。もう一人は別の専攻科の女の子です。


その中に、すごく贔屓していた女の子がいて、初めて私の部屋に遊びに来るという日は、とにかく朝から部屋を掃除して、寮の共同トイレまで徹底的にきれいにして、その時を待ちました。
その子が扇風機がなくって困っていると聞けば、当時なけなしの3000円で中古の扇風機を買ってプレゼントしたこともあります。
みんなで花火大会をすれば、花火の明かりの中で微笑むその子の笑顔を密かに見つめていたりします。
ただ、ものすごく好きだったかというと、そこまでではなく、恋にあこがれていたのでしょう。彼女が欲しかったと、いう感じで対象を彼女に求めていたような気がします。
その子は、その後寮生以外の、同じクラスで親しくしていた友人に取られてしまいました。
二人は結婚もして、子供も設け、今でも毎年年賀状が届きます。


もう一人のクラスメートの女の子は、私の好みのタイプでもなかったのですが、気があって、友達として良く付き合っていました。
微妙に恋愛にまで発展しそうな気配もあったのですが、やはり最後は同じクラスの私の友人と結ばれて、結婚し、子供もできて、今も年賀状でお子様の成長具合を見せ付けられています。


最後の一人は、別のクラスの子でしたが、良く私の部屋に来て、恋の相談をしていきます。
その子は私にとっても、ちょっと可愛いと思っていた子ではありましたので、微妙な立場です。でもいつも真剣に話を聞いて、慰めたり励ましたりしていました。
ある朝、寮の部屋の扉を開けると、その子のメッセージの入った鉢植えのベゴニアの花が置かれていました。「昨日は色々ありがとう」というようなメッセージだったと思います。
なんだかちょっと感動しました。
その子とは大学卒業までお付き合いしましたが、恋多き女性でした。
私とはあくまでも友達でしたが。
卒業してどうされたか、消息は知りません。


大学2年生の時に初めて麻雀というものを覚えて、初めはコテンパンに負け続けました。
負けん気の強い私は、本を買って必死で勉強し、とにかく麻雀の誘いは一切断らず、自らも仲間を求めて、どんどんはまってゆきました。
おかげで大学3年生になる頃には負け知らずになり、だんだん大学仲間との麻雀では歯ごたえがなくなってしまいました。
そこで、禁断の扉を開いたのは、フリー雀荘でのフリー打ち。


見知らぬ相手と賭け麻雀をする訳です。


相手は普通のサラリーマンもいますし、フリーターもいます。
70も過ぎた老人3人相手にしたこともありますし、暴走族のにいちゃんたちとはしょっちゅう。やくざに近いような人と打ったこともありました。
私の人生で一番不良な時期でした。
おかげで自分で言うのもなんですが、麻雀は上達しました。
社会人になって、上司から麻雀に誘われるようになったものの、毎月10万円くらい1年間勝ち続けて(当時の月給が20万円くらいの時です)、賭け麻雀は人間関係を壊すものだと分かり、以降、ぴったりとやめてしまいました。
賭け麻雀は違法行為ですしね。
もちろんもう30年近くやっていません。


大学に入ったのは、志望大学に受からず、英語で点が取れなかったことを反省して、英語を学ぶためでした。
1年間徹底的に英語を学んで、再受験するつもりでいたのです。
ところが、いざ入ってしまうと、そんな気はなくなってしまいました。
他の学生にもそういう人が数名いましたが、大学生活を満喫する内にそんな気は失せてしまうものです。親の負担を考えると、それで良かったと思います。
学歴は、その人の人生に何の影響もありません。


入って初めてのクラスでの授業。
クラスメートの中に初めから英語がペラペラの生徒がいました。
そんなに英語ができるのに英語科を専攻して、何、自分の英語力を自慢したくて入っての?とか思って、最初からいけすかない男でした。
人を見下したような態度も気に入りません。
全体的な雰囲気、性格も気に入りません。
同じクラスですが基本的にはかかわりたくもなく、近寄りもしませんでした。


ところが人生とは皮肉なもので、そういう人とどうしても接してしまうような機会が度々訪れてしまうことになります。
しかも色々あって、仕方なく話をしたりする内になぜか仲良くなってしまったのです。
その男は3畳一間のアパートに住んでいました。
大学のECCクラブに入って、女性会員をだまして自分の部屋に連れ込んでは、強引に関係を持つような奴です。


しかし、その退廃的な感じに興味を持ってしまったのでしょうか。
いつの間にか良く私は彼の部屋を訪れたり、良く話をするようになりました。
ある日野球の試合をテレビで観戦していて、私は当時熱烈なジャイアンツファンだったのですが、彼がいちいち巨人の選手のことをけなしてくるのです。私がファンだと知っていながらです。私もいちいち否定して選手のいいところを言って反論します。
1時間ほど、そんなやりとりが続いて、さすがに私も頭にきて、お前、もう帰れ、くらいのことを言ってすごい剣幕でその男をにらみつけていました。
すると、奴は私がそこまで巨人を愛しているとは思わなかった、いままでのやりとりは遊びのつもりだった、傷つけるつもりはなかった、申し訳ない、と素直にあやまるのです。
それで、私の怒りも収まりました。
そのことがあって、更に親しくなってしまったようです。
彼は卒業後名古屋の女子高の英語となりました。
東京を去るその日に私のアパート(その時は寮ではなく、東京板橋区の上板橋というところにあるアパートです)に来て、自分が大切にしていた、大田宏美の大型パネルを持ってきて、これを預かってもらえないか、というのです。
一段落ついたら、また引き取りにくるようなそぶりでした。
私は快く受け取り預かっていましたが、その後彼とは会っていません。
当時は携帯電話などなかったし、彼の連絡先も知らず、その後私も引越しをしてしまったので、それっきりになりました。


フォークギターを覚えて、同士と弾き語りをし、テープに録音してみたり、ガリ版擦りの文芸サークル誌を毎月発行したり、家庭教師や塾のアルバイトをしながら、二流館の映画を観まくったり、旅行をしたり、詩を書いて投稿おたくをしてみたり、講師と飲みに行ってからかったり、当時ブームになったノーパン喫茶を友人と初体験したり、若気の至りでしたが充実した大学生活でした。


大学は人生の控え室のようなものでした。
高校を卒業して人生に直行する若者の方が、余計なことをせず真っ直ぐに人生の経験を積めるのかも知れません。
良い大学に進むことが人生の目標ではありません。
人生は一人で生活して働いてようやく始まるのです。


伴侶ができて子供ができて初めて責任というものを実感するものです。


それまでは人生の控え室にいるのです。


今はお受験ママと言われる人たちがいて、子供に塾や習い事に行かせ、お金をたくさん使って、学歴至上主義のような教育方針になっているような気がします。


学歴と人生は違うものです。


そんなにやっきになる問題でしょうか。


私は違うと思います。


人生は勝ち負けではありません。


人の役に立たない人生は価値がありません。


子供にとって、どうすることが一番良いのか、子供の個性に合わせて親も真剣に考える問題であると思います。


難しい問題です。


親は子離れをし、子は親離れを早くしなくてはなりません。


それが自然の法則でもあるのです。


子を持つ親の責任は重大です。


親は死んでも子供の中で生きます。


改めて今大学に通っている二人の息子のことを思い、この手記を書きました。


反省することばかりの店長でした。

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