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死を考える
店長です。
海岸に座って波の中に生まれては消える白い飛沫を見て心洗われた人はいますか?
生まれては消える何億ものあわ粒。
これを見て怖いと思う人は少ないでしょう。
人の命も生まれては死んで既に何十、何百億という誕生と死を繰り返してきました。
いざそれが自分の身に迫れば恐ろしく感じることでしょう。
人間の体は127歳まで生きられるように作られている、という話を聞いたことがあります。
現実はなにやかやとそこから減算されて、110歳を超えるのはなかなか難しいのです。
認められている記録でも122歳が最長寿です。
ボケずに元気で長生きしようと思ったら、早起きして手足を動かすような接客の仕事を死ぬまですることでだと思います。
さて、自分の死がなぜ怖いのでしょうか。
一言で言うと初めての経験だからだと思います。
死ぬときはすごく痛かったり苦しいのだろうか、という苦しみへの恐怖。
死んだらどうなるのだろうか、という未知への恐怖。
そして、残されたものはどうなるという、愛からくる恐怖もあるでしょう。
死んだら魂となってあの世へ行き、霊界で過ごした後に転生する、と信じれる人なら少しは恐怖も減るでしょうか。
その時は全ての記憶を初期化して一から人生を始めるので、とても気が楽です。
また一から物事を覚えなおさなくてはなりませんが、仕方ありません。
心の悩みも穢れも消してもらえるのですから。
逆に、「死んだら無になる」という、科学者や頭の固い人もいます。
霊界や来世があるなんて誰も証明していない。証明されていないなら、ないと考えるのが当然だ、というのです。
そういう人にとっては、お墓というのは単なる目印です。
ここに愛した家族の遺骨が埋まっているという。
骨も単なる物質です。愛した誰かは消滅しました。
お墓は記念碑と同じです。
手を合わせる行為は言葉とは矛盾しますが、習慣や儀式と捉えることもできます。
「そこに私はいません。眠ってなんかいません。」という歌の歌詞の通りです。
「死んだ終わり」という考え方は、「生きている内に好きなことをする」に始まり、「人より自分が優先」という身勝手な考え方を増長しやすくすることがあると思います。
必ずそうなるということではありません。
自然に反する行いは、歪をつくり、やがて必ず災いとなります。
それこそ自然を破壊し続けた結果、今地球の環境がどう悪化しているか、良くご存じのはず。
動物・人間としての節操を逸脱した飽食や、荒れた生活、酒、たばこ、果ては麻薬まで、それが人体をボロボロにして早死にすることは想像できるでしょう。
動物にはない、「未来への不安」「人間への不信」「現状への不平・不満」「過労」などが人間特有のストレスとして自律神経を狂わせます。
自然界には存在しない薬物が病気の治療と称してどんどん体内に送り込まれること。
これも自然に反する行為です。
127からいくつ引かれるのかが、あなたの寿命を決め、寿命を作っているのはあなた自身であり、悪いと分かっていながらしていること全てがマイナスに加算されてゆきます。
いよいよ死の影が自分に迫り、死に対する覚悟もできていないのは可愛そうです。
怖くない、といえば嘘になりますが、私には死に対する覚悟はある程度できているつもりです。
そろそろ自分の墓も立てておく必要があります。
怖いのは、愛する者の死です。
もっと幸せにしてあげたい、でもまだまだできていない、と思うからです。
自分のことで精いっぱいだったことを今すぐ反省しなくてはなりません。
それにはまだまだ時間が欲しい。
愛する者の死は心を砕き、後悔に溢れます。
地震や津波、火災などによって、さっきまで楽しく会話していたはずの、愛する者がこの世から消える。この痛みは自分の死より重いはずです。
今すぐに反省をして、覚悟を決めて、有事にも備える心構えも必要です。
後悔には果てがないからです。
魂とあの世を信じる者はだからこそ、自分も早くあの世へ、という気持ちが湧くのも仕方ないことですが、備えるということは・・・
「明日愛する人がこの世からいなくなる。今日私にできることは何だろう。明日後悔せずに済むには何をしたら良いだろう。」と想像することです。
その予行演習が上手にできたら、あなたにはボーナスとして、1年の猶予が与えられました。
その1年で十分に愛する者孝行をして下さい。
運が良ければもう1年延長されるかもしれません。
ぐらいの想像力を発揮してみて下さい。
できることが、急に増えますよ。
損得で考えるのが人間です。
動物には損得の概念がありません。
悪いこともせず、真面目に一生懸命やっているのに、何で私はこうも運がないのだろう、財がないのだろう、と思ったりしませんか。
私はあの人にいっぱい尽くしたのに、愛情をかけたのに、見合ったお返しがない、なんて不平を言ってませんか。
人からのお返しを期待するなら、親切にしたり愛するふりをするのはやめた方が良いと思います。情けは人のためならず、です。つまりは自分のため。
自分が何の見返りも期待せずに、それこそ誰に知られることもなく、与えたり尽くしてきたことは全て魂の貯金です。
この貯金は引き出すことはできませんが、いつか何倍にもなって返ってきます。
いつか、というのはこの世も含めて、ということです。
来世やさ来世かも知れません。
信じてない人には話はここで終わりです。
もちろんこれは私が聞き集めた賢人たちの言葉の受け売りです。
誰にも実証できません。
でもそれを馬鹿みたいに信じて、疑いもせずに生きてみると、心が優しい気持ちになり、人の笑顔を見ることが何より好きになります。
どうせ死んだら何も持っていけない。
そうですが、心が積んだ徳は残ります。
あの世の通貨は「徳」なんではないでしょうか。
肉体を失ったあなたが欲しいものは何ですか?
難しい質問ですね。
終わります。
店長でした。
- 2014.10.27
- 17:20
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