健康情報中心に
「視力回復」のヒントになれば
店長です。
今日は「視力」の話です。
私が小学5年生。
当時学校の臨海学級で、岡山の瀬戸内海のとある島に合宿しました。
早朝は海で水泳教室。
朝は引き潮のせいもあり、日中と比べるとかなり沖合いで泳いでいることもあり…
「おこぜ」に刺される生徒。
「うに」を踏んでしまう生徒。
その上、足をつけば砂地は少なく、間違うと足を切りそうな岩場も豊富。
数分おきに悲鳴があがり、リタイアする生徒たちが続々と泣きながら陸に戻ってゆきます。それでも、中止はしない。
足をつくのがとても怖い。
逆にひたすら泳ぎ続けようとするので、訓練には最適だったかも知れません。
でも今だったらきっとPTAや教育委員会で問題になっているでしょうね。
親がだまっちゃいませんね。
当時はそれぐらいのことで死ぬわけじゃない、何事も経験、ぐらいの考え方が通用したんでしょう。
私の思い出の話です。
その夜は島の海岸で、キャンプファイヤー、それから澄み切った夜空を観察。
先生が、星座の名前を色々と教えてくれて、夜空の神秘にわくわくしたものです。
その中で、
ふと見ると、ゆっくりと動く星がひとつ。
ゆっくりゆっくり。
他の星と比較しながら、じいっと見入ってないと動いているのはわからない。
が、一度気がつくと明らかに動いているのが分る。
先生が、あれは人工衛星だと教えてくれた。
空気が澄んだ海岸の夜空では人工衛星が見えるのだという。
「あ、あっちも動いてる。」
ほかの生徒が、もう一つ動いている星を見つけたのです。
夜空をゆっくりと移動する2つの星。
2つが織姫と彦星とのように近づいていたのなら、とてもロマンチックだったでしょう。
でも人口衛星なので、近づくことはありません。
小さい頃は、そうやって、星が良く見えました。
その小学生も大学を出て社会人になり、20数年、過酷な社会競争に生き、パソコンなどが普及して長らくディスプレイを見て提案書などを作るようになって、とうとう、両目1.2あった視力が、突然45歳にして0.1まで落ちてしまいました。
それまで、近視を経験したことのない私です。
初めは近視だと気がつかずに、最近何でこんなに目がかすむのだろう、何かの病気なのだろうか、と思っていました。
でも、健康診断で、初めて近視だと分ったのです。
ショックでした。
45年生きてから近視。
駅で駅名の看板が見えず、折角座れていた満員電車の席を立つことになったり、通り過ぎてしまったり、さんざんです。
人生で初めて眼鏡をかけることになりました。
若い頃も伊達にサングラスなどかけてみて、鼻の上の違和感がいやで、やめてしまったくらいでしたから、こんな年で眼鏡は本当に苦痛でした。
そんなおり、近視にはあつい「玄米茶」をタオルに染ませて、毎日まぶたの上から蒸すといい、とか、「芋パスタ」(里芋と小麦粉と生姜をすりおろしたもの)でそのあと冷やすとよいとか聞いて、ダメもとで毎日やりましたよ。
やったあとは確かにとても目がすっきりする。
これはもしや、と思うのですが、視力は変わらない。
それでも1週間以上、ずっと続けていましたが、ある日出勤のため家を出て、景色がいつもと違い、ぼやけていないことに気がつきました。
その日はお天気が良かったので、そのせいかなあ、とも思いましたが、それでも、ああ、そう、駅の看板がちゃんと見て取れる!
ちょっと、もしかして視力回復したんでは?
どきどきしてきました。
実際回復していたのです。
悪くなって1年後でした。
健康診断では、0.1から0.6に。
以前の視力までは回復しませんでしたが、確かに回復したのです。
問診で担当医に、「視力が急に良くなりましたが、何かされたんですか?」
と言われ、「いや、特には…」と答えた時の自己満悦感、最高でした。
これはとても嬉しかったです。
このままどんどん視力悪化していずれビン底のような眼鏡になるのでは、と嫌な予感がしていたのに。
本当にもうけものでした。
本当の理由は良く分りません。
でもその後、松崎五三男さんという理学博士の著書、「わずか2週間で視力が回復する」(二見書房・刊)と出会って、「視力の衰えは目の筋肉の衰え」「目の筋肉を鍛えれば視力は回復する」という理屈を読んで、あの時のことは、目を暖めたり冷やしたりを繰り返したことで、目の筋肉が刺激されて、視力回復したのではないかなあ、と思うようになりました。
特に年を取ってからの近視には、回復の余地がありそうですね。
松崎先生の本は、読んでみて、本に書かれている視力回復療法を是非その内やってみよう、と思いながら、ついつい、先延ばししてしまっていますが。
とりあえず日常生活は眼鏡なしで足りてしまっているので、切迫感が足りないようですね。
今日は視力の話でした。
何か参考になりましたでしょうか?
店長でした。
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